すべての生命が健全な状態を取り戻すために… 肉体・感情体・精神体・霊体のヒーリングスキルをお伝えしていきます

Homoeopathy

目次

撹乱した生体エネルギーが本来の健全な恒常性を取り戻すためには

『医術のオルガノンー第六版ー』

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§はじめに

……人間の病気とは、物質や刺激物、つまり病原物質によって生じるのではなく、
人間の体に生命を付与する精神的なエネルギー(生命原理、バイタルフォース)の
精神的な(ダイナミックな)撹乱状態にほかならない……

それでは健全な状態を逸脱し恒常性があるがゆえに病気を生み出してしまう撹乱した生体エネルギーを
どのように健全な状態に戻せばいいのでしょうか…!?

今現在、私が病気の原因を見つけようとするときには、
肉体、感情体、精神体、霊体と領域を分けて、その原因を探求しています。

1つの病気を誘因する要因を見極めることが完治には不可欠なのです。
 
病気の原因を肉体、感情体、精神体、霊体と
それぞれの領域に分類して考えてみれば…
 
例えば、湿気の多いところなど
自分に適さない気候で生活していることが病気を生み出す要因の場合、適したアプローチは…

自分に適した環境に移住することとなり、
植物の健全な生育に必要な環境が植物それぞれであるのと同様です。

植物が見せてくれるように、私たち人間にとっても、自分に合った環境は千差万別なのです。

不健全な状態となってしまっている原因を突き止めることなく、
栄養補給、運動、カウンセリングや除霊、
はたまた薬などの他のアプローチによって緩和をもたらすかもしれませんが、

以前よりもマシになったということでの納得しかできないはずで完治することはないはずなのです。
 
このように結果としての症状を生み出している原因を見極める力を身に付け
その原因に適したアプローチを理解しなければ
完全なヒーリングをもたらすことは難しいといわざるを得ません。

例えば…

「栄養補給」「薬効成分を摂取する」「健康的な食事」
「エッセンスとしての使い方としてのフラワーエッセンス」という
自分以外のエネルギーを取り入れる。
 
「肉体強化」という自分自身のパワーをアップする。
肉体にエネルギーを与え、耐性を高め対抗力を強化、
ホメオスタシスの働きを高める。刺激に耐えられるようになる。

しかしこれでは…
大きく揺れて撹乱してしまった生体エネルギーにはアプローチできていない。

アロパシーのアプローチ方法

『医術のオルガノン』

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第3節 治療の仕方

……これまでの医師たちは……(いわゆる)病気の物質的な原因を取り除くことによって
病気を直接的に除去することを考えた。

というのも、一般の医師たちは、病気を診察し診断しているときも、
「治療の指標」を探しているときも、
こうした物質主義的な考え方から逃れることがほとんどできなかったからである。

さらに、精神的でも物体的でもある体の自然本性
きわめて高度に活性化された本質であると認めることもほとんどできなかった。

したがって、感覚と機能における生体の異常な変化、
すなわち、病気と呼ばれているこの異常な変化は、

主にダイナミックな(精神のような)影響力によって、いやそれどころか、
ほとんどその影響力によってのみ条件づけられ、生み出されなければならない。

これ以外の仕方では起こりえないのである。

終始これまでの医師たちは次のように考えた。

病気によって変化した物質、すなわち体内に充満しているにせよ体外に排出されるにせよ、
この異常な物質は今日までやはり、病気を誘発する刺激として、
あるいは少なくとも、いわゆる逆作用[§64、65]を引き起こすために
病気を維持する要因とみなされている。

それゆえ彼らは、捏造された仮説的な物質的原理を取り除こうと努力することによって、
「原因に基づく治療」をおこなっていると思い込んだ。

たとえば、胆汁熱なら胆汁を熱心に取り除く。
いわゆる胃の調子を崩したら催吐薬を使う。
子どもに青ざめた顔色、過食、腹痛、腹部の膨らみがみられたら、
粘液、回虫、蟯虫(ぎょうちゅう)を丹念に駆除する。
出血させるためには瀉血する。
とりわけ炎症が起きているなら、主な治療法としてあらゆる方法で瀉血をする

……要するに彼らは、何であっても悪い部分を取り除けば病気に打ち勝ち、
「原因に基づいた治療」をしていると考えた。

しかし、その成果はどうか。
その後、遅かれ早かれ、メタシェーマティスム(病態変容)が必ず現れる。

これは彼らの治療がきっかけとなって生じたものであるのに、
それでも新しい病気であると、彼らは偽りをいう。


だがそれは、最初の悪い状態よりもいつも悪化するので、
彼らの主張が誤りであることを十分に示している。

これによって彼らは、次の事実に目を見開くことができるし、また見開くべきである。

すなわち、こうした悪い状態を生み出す非物質的な自然本性はもっと深いところにあり、
精神のようなそのダイナミックな発生源はダイナミックにのみ取り払うべきである、
ということである……

……病気を治療すべきときに具体的に思い浮かべられる病原物質を想定する方が、
安易を求める人間の弱みからすればより都合がよいことは、私も認めよう
(事実、患者自身にしても、このような考えにふけりがちである)。

なぜなら、血液や体液を排出させるものとか、排尿や発汗を促す薬とか、胸部の痰を出す薬や、
胃腸をきれいにする薬を、どこからか手に入れるかを考えればよいだけだからである。

それゆえ、ディオスコリデス
(ペダニウス・ディオスコリデス(Pedanius Dioscorides  40年頃~90年、古代ギリシアの医者、薬理学者、植物学者)

から最近に至るまで、あらゆる『マテリア・メディカ』には、
それぞれの薬について、どんな特有で固有な作用があるのかほとんど何も記載されてこなかった。
病理学上の病名をもった病気に対して効くと憶測された効能に関して報告されているだけである。

つまり、それが利尿薬か、発汗薬か、喀痰(かくたん)または月経を促す薬か、
とりわけ、食道を通って上から吐くにせよ腸管を通って下から出すにせよ、
体内を空にできる薬か、ということだけにすぎない。

なぜなら、実際に治療にあたっている医師たちが以前からおこなってきたすべての捏造と努力は、
とりわけ具体的な病原物質と、病気の根底にあるとされていた空想上の刺激物とを
排出することに対してのみ向けられていたからである

第5節 治療法に対する批判―自然の模倣

……だが、これまでの医学を信奉する最近の医師たちは、
治療するとき具体的な病原物質の排出を目指しているかのようにみなされることを
もはや好んでいない。

彼らの説明によれば、多くの色々な体液の排出は
誘導の作用によって効果をあげる治療法であるという。

そして病気になった体の自然本性は、その誘導の作用によって、
自らを助けようと努力することが自分たちの治療の手本になっているのだという。

たとえば自然は次のように処置する。

発熱には、発汗と排尿によって、
側胸痛には、鼻の出血、発汗、粘液分泌によって、
他の病気には、嘔吐、下痢、下血によって、
関節痛には、大腿部の腐敗膿によって、
喉の炎症には、唾液分泌によって、など。
あるいは転移と膿瘍(のうよう)によって取り除く。

自然は、悪い状態にある部位から離れたところに転移や膿瘍を引き起こすこともある。
それゆえ彼らは自然を模倣したとき自分たちは最善を尽くしているのだと考えた。

たいてい病気を治療するときは、彼らもまた、
病的な状態にある自由奔放なバイタルフォースと同じように回り道をする。

つまり、患部から離れたところにある器官、
しかも病変組織とはもっとも関連性の少ない(すなわち無関係な)器官に、
異なった種類の病気を生み出す刺激を強めに与える。

そうすることによって間接的に排出をおこない、
通常、悪い状態をその器官へといわば誘導するために排出し続ける。
こうしたいわゆる誘導法は、今も昔も従来の医師たちにとって主要な治療法である。

一部のほかの人が次のように表現しているのだが、
自分を救う自然を模倣する場合、
彼らは薬によって起こした病気に一番よく耐えることができると思われる最も病気でない組織に、
新しい症状を強引につくり出そうとした。

新しい症状は、危機的な状態を装い、排出物を形成しながら最初の病気を誘導し、
こうして自然の治癒力は徐々に病気を散らすことができるのだという

だがほとんどの場合、食道や腸管を刺激して排出を促す薬を使った。

誘導法の効果を支援するために、この方法と密接な関係のある、

拮抗的
(生物体のある現象に対し、二つの要因が同時に働いて、互いにその効果を打ち消し合う作用。心臓の拍動に対する交感神経(促進)と副交感神経(抑制)の作用など。また、薬物を併用した場合、互いに薬効を減弱させる作用など)

に刺激を与える方法が用いられた。

素肌に羊毛をあてがう方法、足湯、催吐薬による治療、
そして、空腹によって胃腸に痛みを生じさせる治療(断食療法)。
さらには、患部に近い部位または離れた部位に痛みや炎症や化膿を生じさせる薬や道具を使う。

……この場合も同じく、病気の時に自由奔放なやり方で自分を救う粗野な自然を手本にする。

粗野な自然は、患部から離れた部位に痛みの刺激を与えたり、転移や潰瘍を起こしたり、
刺激性の発疹や腐敗膿を生じさせたりして、
ダイナミックな病気から自分を救い出そうとするからである
(慢性病のときには、このやり方では効果がない)

したがって、明らかにこれまでの医師たちは、考え抜かれた根拠によってではなく、
もっぱら治療を手軽に済ませたいがための模倣によってそそのかされ、
誘導の治療法にせよ、拮抗的に作用するものを使う治療法にせよ、こうした役立たない、
危険で間接的な治療をするようになったのである。

そのために彼らのしようとした治療は、
ほとんど役に立たず、あまりに成果も少なく、非常に攻撃的だった。
つまり、病気を短期間で見た目に軽減させたり、あるいは取り除いた結果
最初の病気の代わりにもっと悪い別の病気が呼び起されたのである。

……彼らは、単に急性病による軽い症状が生じた時に一時しのぎに切り抜けようとする
自然の努力を見本として模倣したにすぎない。
つまり、病気のときには自由奔放に振る舞う、
思考能力もない生命維持力の働きだけを模倣したのである。

第5節 治療法に対する批判―自然の模倣(5)

……周知のように通常の医学では、
病気のとき薬を使わなかったときに自然が体においてみせる自助努力は、
模範とする価値のある治療の手本とみなされた。

しかし、これはまったくの誤りである。
急性病の際に自分を助けようとするバイタルフォースの、
あまりに悲惨できわめて不完全な努力は一種の劇のような効果をもたらす。

そのような劇は見る者に強い同情心を生じさせ、
私たちの知性的な精神は、そうした自虐的なふるまいを
本物の治療によってやめさせるために全力を尽くすように仕向けられるからである。

自然は、体にすでにあった病気を、
新たに別の類似の病気を生じさせることによって(§43~46)
ホメオパシー療法のように治療することはできない。

同じく自然は自分の思い通りに治療できることもきわめてまれである(§50)。

そして新たに発生した病気を克服する役目も体だけに任されることになる。

外部からの助けもなく、自分の力だけでそれをしなければならない
(慢性マヤズムの場合、そうした抵抗はもとより無力である)。

こういうとき私たちが目にするのは、患者個人の自然本性によってなされる努力にほかならない。

こうした努力は悲惨で、多くの場合、危険である。
どんな犠牲を払ってでも自分を救おうとするからである。
そして最後は、地上で生きることをやめ、つまり死によって終えることもまれではない。

……通常、急に生じた病気を終わらせるために自然によって引き起こされる排出は、
危機的状態と呼ばれるが、こうした排出の状態には、
治療の効果ではなくて苦しみのあることが多い。

こうしたいわゆる危機的状態のとき
バイタルフォースが何をどのようにおこなっているのかということは、
生命が住まう有機的なすみかの内部で起きているすべての事柄と同様に、
私たちには隠されたままである。

それにもかかわらず、きわめて確かなのは、
こうしたすべての努力においてバイタルフォースは、

病気になっていない部分を助けるために、
病気になっている部分を多かれ少なかれ犠牲にし根絶する
、ということである。

バイタルフォースの自助努力は、急性病を取り除くときに精神的な熟考に基づいてではなく、
もっぱら体の有機的な調整に基づいてのみ活動する。

だがこうした自助努力は、たいてい一種のアロパシーにすぎない。

バイタルフォースは、危機的状況を発生させることによって
最初に病気になった器官を救い出すために、
分泌器官に対してもっと多く、嵐のように激しく活動させ、
悪い状態をこの分泌器官へと誘導する。

これによって起こるのが、嘔吐、下痢、排尿、発汗、膿瘍などである。

離れた部位をこのように刺激することによって、本来の病気のある部分から一種の誘導をおこなう。
なぜなら、ダイナミックに襲われた神経エネルギーが、物質的に生み出されたものとして
いわば注ぎだしているようにみえるからである。

人間のまったく自由奔放な自然本性は、
体そのものの一部を破壊し犠牲にすることによってのみ
急性病から自分を救い出すことができる。

そして死ぬことがなければ、ゆっくりで不完全であるにすぎないとはいえ、
生命の調和、すなわち健康を回復することができる。

自分で健康を回復したとき、苦痛にさらされた部位や、
それどころか体全体に、激しい衰弱とか、憔悴とかが後に残っているので
前述のことが私たちにわかるのである。

では、一言で述べてみよう。

体が病気に見舞われたとき、
体の自助努力において起こるすべての出来事によって観察者に示されるのは、
病的状態にほかならない。

真の治療法によって処置するために模倣できるものは何もないし、
模倣してよいものも何もないのである……

自己治癒力は
恒常性として肉体を健全な状態に戻すものと信じられていますが

それは生体エネルギーが正常に働いているときに限定されたもので
何かしらの原因で生体エネルギーが撹乱すると
自己治癒力と言われる働きが逆に病気と言える症状を生み出していると
ハーネマンさんは観察医療の経験の中から考察しているのです…

皆さんは、これまで身に着けてきている知識を疑って
この考察を検証してみることができるでしょうか…!?

自分の経験の中で検証してみるとこんな事がありました…
鉄を切っているとき目に鉄粉が刺さってしまったのです。私も保護メガネをしておけばよかった…

自己治癒力は目に刺さった鉄粉を取り出そうとしていたのでしょう…
尋常ではないくらい涙が出て止まらず、このままの状態が続けば、
そんなことが起きてしまうのではないかと思えたのです

このような外科的なアプローチで原因を取り除くことで
生体エネルギーが撹乱する前に処置することも大切なアプローチとなるのです。
しかし、これだけでは全てを解決させることはできないのもまた現実なのです…

生体エネルギー(バイタルフォース)とは

『医術のオルガノン』

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第5節 治療法に対する批判―自然の模倣

……生命維持力は、唯一、体の有機的な法則をよりどころとし、
この有機的な法則に基づいてのみ活動する。

したがって粗野な自然は、知性をもつ外科医がするように、
唇の裂けた傷を閉じることも、吻合(ふんごう)して治療することもできない。

斜めになって互いに離れてしまった骨折端を、まっすぐに戻して
相互にうまくかみ合うようにする仕方を知らない。

粗野な自然は骨の膠(にかわ)状(粗製のゼラチンのように粘り気がある状態)の物質を
分泌させるだけで、たいてい分泌量が多すぎる。

また、損傷した動脈を結紮(けっさつ)することができず、
出血で活力も損ない、負傷者を死なせる。

脱臼した肩を整復する仕方も知らず、逆に、患部の周辺をはれ上がらせて整復の治療を妨げる。

角膜に刺さった小片を取り除くために、目の全体を化膿させて破壊する。

知性や思考に基づいて行動する能力はない。

どんなに頑張っても、腹部の壊疽と患者の死亡による以外に、
嵌頓(かんとん)した鼠径ヘルニアを止めることができない。

たいがいダイナミックな病気のときは、
メタシェーマティスム(病態変容)によって患者をはるかにより悲惨な状態にする。

さらにまだ、私たちが地上で生存することにおいて最大の苦痛を与えるもの、
無数の病気をもたらす火種のようなもの、何百年、何千年と、
苦しむ人類をうんざりさせるものがある。
それが慢性マヤズム、要するにソーラ、スフィリス、サイコーシスである。

知性を欠いたバイタルフォースは、慢性マヤズムを躊躇なく受け入れる。
バイタルフォースはそれらのどれ1つとして決して減らすことはできない。
ましてや、自力で体から取り除くこともできない。

それどころか多くの場合、悲しい長い人生を送った後に、死によって患者の目が閉じられるまで、
バイタルフォースは慢性マヤズムを増殖させる。

第5節 治療法に対する批判―自然の模倣

……彼らは次のことに気付いていないからである。
すなわち、もともとの慢性的な苦痛を緩和させるために、
知性を欠いた自由奔放なバイタルフォースが引き起こし持続させているすべてのこと、

つまり、局所的な症状の発生とか排出とか、一見して誘導に見える努力とか、
こういうことこそすべて、まさに病気そのものであり、病気全体を示す兆候なのである……

……急性病であるにせよ、さらに慢性病であるにせよ、
病気の時に自分を救うために粗野な自然がすることは、きわめて不完全であり、
もはやそれ自体が病気である。


だから次のことは容易にわかるだろう。

こうした不完全な状態や病気を人の手によって促進することは余計に害になるだけであり、
少なくとも急性病のときでさえ、促進しても自然の自助の働きに関しては何も改善されない。

バイタルフォースがどういう道をたどって危機的状態を生み出したのかは隠されているので、
薬学は、そういう隠された道を進むことができず、外部からの攻撃的な手段を通じてのみ
危機的状態を生じさせようとする。

こうした治療の成果は、
自由奔放で本能的なバイタルフォースが独自に成し遂げたほどにも、はるかに及ばない。
むしろその一方で、ますます混乱させ、体力をいっそう奪い取る。

第5節 治療法に対する批判―自然の模倣

慢性的な内的病気に生命が脅かされたとき、
生命に不可欠な部位から危険をそらし、生命にとって必ずしも必要でない組織へと導くために、
要するに転移させるために、自由奔放な自然は外的な局所的な症状を生み出す方法だけしか
自分を助ける術を知らない。

第5節 治療法に対する批判―自然の模倣

……バイタルフォースは、もっぱら身体組織における体の調整だけに従って単独で活動することができる。

だが、知性や理解力や思考に基づいて行動するには適していない。
それでは、何のためにこうしたバイタルフォースが人間に与えられたのか。

バイタルフォースを、健康から逸脱した悲惨な状態から正常な状態へと
元に戻す最高の治療師であるとみなすためではない。

さらにましてや、バイタルフォースによる不完全で異常な努力(自分を病から救い出すという努力)
を医師が盲従的に模倣するためでもない。

しかもその模倣は、バイタルフォース自身によるよりも、
確かにいっそう不適切で攻撃的な振る舞いなのである……

……バイタルフォースによる自助努力を模倣したいと考える、知性のある人がいるとすれば、
そもそも彼はどんな人であろうか。

そうした努力がまさに病気そのものであり、病的な状態にあるバイタルフォースは、
おのずから発現する病気を生み出す張本人なのである。

それゆえ必然的に、人間によるすべての模倣も、こうした努力の抑圧も、
病気を増やすことになる。
あるいは抑圧によって病気を危険なものにする。
模倣と抑圧、この2つをおこなっているのがアロパシーである……

……あのバイタルフォースは、人間に生まれながらに備わっている。
人間が健康な時には最も完璧なやり方で生命を導くように定められている
まさに主人たるにふさわしい。
感覚を受容する組織にせよ刺激を受容する組織にせよ、体のあらゆる部分に等しく存在している。

正常な自然な体のあらゆる機能を休みなく動かす原動力でもある。
では、こうしたバイタルフォースは何のために創造されたのか。
病気の時に自分を助けるためではない。模倣する価値のある医学を提示するためでもない……

……バイタルフォースはエネルギー的な存在ではあっても、
思考も予見もできず、知性を欠いているので、
このバイタルフォースがおこなっていることは本当の助けにもならず、本物の治療にもならない。
それは、危険な内的な苦痛に関して一時的に抑える、持続作用の短い緩和作用にすぎないのである……

……つまり、真のホメオパシーによる治療がなければ、せいぜいできることといえば、
必ずやってくる破滅の時期を遅らせることくらいである

ホメオパシー的アプローチ

『医術のオルガノン』

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第12節 民間に伝承された治療薬(2)

……もっぱら物体的な性質にのみ基づくエネルギーは、
生きている体に影響を及ぼすダイナミックな治癒のエネルギーとは本質的に異なっている。

私たちを取り巻く空気や水の温かさや冷たさ、そして食べ物や飲み物の温かさや冷たさは、
温かさや冷たさそのものとして、健康な体に対して端的に害を及ぼすことはない。

温かさと冷たさは互いに作用しあい、健康な生命を維持するためになくてはならない。
したがって、それ自体は薬そのものではない。

それゆえ、温かさと冷たさは、体に障害が生じたとき、
それ自体、薬として作用することはないのである。

つまり、温かさと冷たさはそれ自体が作用するのでもなく、
ダイオウやキナ皮などのように、それ自体が有害なものとして作用するのでもない。

そうではなくて、単に、変化量が大きかったり小さかったりすることによって、
すなわち、温度変化の程度によって作用するのである。

では、物体的な性質にのみ基づくエネルギーの事例を他にもあげよう。

大きな鉛のおもりで手を打撲して痛めたとしよう。

手を痛めたのは、鉛としての本質的な性質によってではない。
なぜなら、鉛が薄い板であれば打撲しなかったであろうから。
痛めたのは鉛の塊の量と重さのせいである。

それゆえ、温かさや冷たさは、凍傷ややけどのような障害が体にあるとき治療に役立つ。

同様に、温度変化の程度が極端に大きかっただけでも健康な体を損ねる。

さらに、家庭での治療経験のこうした事例から次のことがわかる。

アイソパシーのやり方に倣(なら)い、
手足を凍傷にした寒さにずっとさらしていても、凍傷は回復しない。

もしこのようなことをすれば患部は完全に生命を失い、壊死するだろう。

他方、ホメオパシーのやり方に倣い、
凍傷になった温度にほぼ近い冷たさから始めて、少しずつ快適な温度に上げていく。
たとえば、適当な温度の部屋の中で、凍傷になった手に、凍らした発酵キャベツをあてがう

するとすぐに溶けだし、1℃から2℃へ上昇する。最後は部屋の温度まで上がる。
部屋の温度がたとえ10℃しかなくても少しずつ温まり、手足は回復する。

これは、発酵キャベツの物体的な性質を利用したホメオパシーである。

では、煮立った湯で手をやけどした場合
アイソパシーのやり方に倣い、煮立ったお湯をかけたが回復しなかった。

少し低めの熱さ、たとえば60℃に熱した湯の入った容器に手を入れると、
1分ごとに熱さが少しずつ引いて、最後には室内の温度になる。

やけどした患部はホメオパシーによって回復したのである

家庭での治療経験から得られた実例に基づいて、ルクス氏は、
いわゆる、等しいものおよび同じものによる治療法を構築した。
彼はそれをアイソパシーと呼ぶ。

さらに、もはや常軌を逸した人たちの中には、これを、極限を超えた究極の治療法であると考えた。
どうしてそうなったのかもわからないのに」

※ルクス(Johann Josef Wilhelm Lux, 1776-1849)
ライプチィヒ大学で獣医学を講義した。1820年代よりホメオパシーの活動を開始する。

彼は、病気になった動物の血液を1滴希釈して服用させた経験から、どんな感染症に対してでも、
血液の中や、膿胞とか腫瘍のようなできものの中に含まれていると思われた感染物質を
希釈して服用させるとよいと考えた。

※アイソパシー(Isopathie)ルクスによる造語。

病気を治療するのに、病気の原因となった物質や、病気が進行する過程で生じた産物を使って希釈し服用させる。

ただしプルービングを経ていない点、症例の個別化を無視する点でホメオパシーとは決定的に異なる。

第12節 民間に伝承された治療薬(2)

……物体的な性質の影響の事例をもう1つあげよう。
何か硬いものが額に当たって傷(激痛を伴うこぶ)ができたとき

親指の膨らんだ部分で患部をしばらく強く押し、少しずつ押す力を弱めていくと、
まもなく痛みとはれがすっかり引く。これはホメオパシーのやり方である。

しかし同じ硬さのもので同じ強さでぶつけても治らない。
アイソパシーでは患部はいっそう悪化するだろう。

アイソパシーによる治療として
ルクス氏の本で引きあいに出されているものを、さらに取りあげよう。

人間に起こる拘縮(こうしゅく=1回の刺激によって生ずる筋肉の持続性収縮)や
犬にみられる後脚部の筋肉麻痺は、どちらも冷えによって生じるが、
冷水浴によって速やかに治療される。

この障害についてのアイソパシーの説明は間違っている。

「冷え」の障害は確かに「冷たさ」に由来する病名で呼ばれているけれども、
体質的にそうなりやすい体であれば、むしろ多くの場合、すき間風の速い流れにさらされたとき、
風が全然冷たくなくても、そういう障害がおこる。

健康な状態にせよ病気の状態にせよ、冷水浴が生きている体へ及ぼすいろいろな影響は、
1つの概念で言い尽くせない。

したがって、そのような大胆な治療体系を1つの概念で説明することはできないだろう

第12節 民間に伝承された治療薬

……通常に医師たちは、なかなか治らない病気に対する特効薬を、捏造の術からではなく、
一般の人々の経験から手に入れることがあった……

……ときどき彼らは、何も考えず経験するうちに
ホメオパシーの病気治療にたどり着くことがあった。
それでもなお、こうした治癒の現象が実際に生じるときに従う自然法則、
必ず従っている自然法則を認めることはしなかった。

それゆえ人類の幸福のために非常に重要なのは、このようにきわめて稀な、
傑出(けっしゅつ)した治癒をもたらす治療法がそもそもどのように生じたのかということを
研究することである。

私たちがそこから見つけて明らかにしたものは、きわめて重大な意味を持つ。

すなわち、そのような治癒が生じるためには、
治療すべき病的状態に類似した病気を引き起こす
ホメオパシーの薬を使わなければならないということである

第12節 民間に伝承された治療薬

……彼らは、自然に唯一適合する治癒の法則の必然性を実際に証明さぜるをえなかったのである。

医学の栄えたいかなる時代においても、医学上の偏見に曇らされていたために、
今までこの治癒の法則を発見しようとする努力はなされなかった。
これほど多くの事実やこれほど無数の証拠の片鱗があっても、
彼らはその法則に辿り着けなかったのである。

それどころか実際には、医療に従事しない階級の、健全な観察眼をもった人々が、
家庭の常備薬として使用してきたおかげで、この治療法は、
最も確実で、最も徹底した、最も信頼のおける治療法として、
何度も経験において見出されたのである。

凍傷になったばかりの手足には、凍らせた塩漬けキャベツをあてがったり、雪でこすったりする

煮立った出し汁が手にかかったのであれば、
ベテランの料理人なら、少し離れたところで火に手をかざす。
そのために増してくる最初の痛みは気にしない。

なぜなら、そうすれば短期間で、たいていは数分のうちに、やけどした個所が、
痛みのない健康な皮膚に回復できることを経験から心得ているからである

ほかにも医師でないのに心得のある人がいる。たとえば塗り物師。

やけどした個所に、やけどした様な状態を生み出す類似の薬として、
十分に温めた強いアルコールや、テレビン油などをあてがう。すると、数時間のうちに回復する。

他方、彼らが知っていたように冷却軟膏は、実際、何か月たっても回復しない。
むろん冷たい水は症状を悪化させる。

年老いたベテランの草刈り職人は、灼熱の太陽のもとで働きすぎて高熱を出したとき
冷たい水(「反対のものは反対のものによって」)は飲まない。
それがどんなひどいことになるか、心得ているからである。

たとえ普段からブランデーを飲みつけていない人でも、体温を上昇させる飲み物を少しだけ、
つまり一口の適量分のブランデーを摂取する。

真理の導き手である経験から、この職人は、こういうホメオパシー療法の処置がどんなに優れ、
治癒の効果があるかを確信していたわけである。体の熱は速やかに下がり、同じく疲れも消える

第12節 民間に伝承された治療薬(1)

……感冒熱の寒気があるときに、ニワトコ(Sambucus)の花の煎じ汁を飲ませると、
感冒の後に皮膚にたまると考えられた発散物質[汗]を、
皮膚を通じて排出させることができるという。

この煎じ汁は作用の特有な類似性によって
ホメオパシー的にこのような熱を消し去ることができるからである。

しかもこの煎じ汁は、大量に飲まなくても、それどころかさらに飲み続けなくても、
最も速やかで良好に、汗をかかずに患者を回復させることができる……

……急性の硬い潰瘍がある場合
これが激しい炎症を起こし、耐えられないほど痛みが生じ、化膿の状態に移行しない時には、
非常に温かい湿布薬を何度も新しく張り替える。

すると、当然のごとく、すぐに潰瘍が形成され、炎症と痛みが速やかに和らぐ。
彼らは、黄色の光を帯びたような光沢の盛り上がりが患部に生じて、
触ると軟らかいことに気付く。

だが彼らは、湿布薬の湿り気によって硬い患部が軟らかくなったのだろうと思い込んでいるが、
実際には湿布薬の温かさがどんどん上がることによって、
過剰な炎症をホメオパシーの治療法で止めたのである。
これによって最も速やかに化膿を形成することができる……

……たいてい目の炎症に対しては、赤色の酸化水銀(Mercurius Precip.Ruber)を含む
聖イヴの軟膏を使うとうまくいく。それはなぜか。
いずれにしても酸化水銀は、目の炎症を引き起こすことができるからである……

……痛みを伴うほとんど無意味な排尿衝動の場合。パセリの液汁を少し飲む……

……粘液性の扁桃炎の場合。ミツバグサ。
ミツバグサは、気管と喉において大量の粘液分泌を促すからである……

……子宮の大量出血の場合
子宮の大量出血を単独で生じさせるサビナの葉(Sabina)から取り出したものを使うと、
子宮の出血をいくぶん止めた。ただし、ホメオパシーの治癒の法則を認識することはなかった……

……腸狭窄や腸疝痛によって便秘になった場合
排泄を止めるアヘン(Opium)を少量投与すると、
アヘンは非常に効果的で安全な薬の1つになることが、数人に医師にはわかっていた。
けれども、そこで支配していたホメオパシーの治癒の法則に気付かなかった……

……性病とかかわりのない喉の潰瘍の場合
水銀を少し投与して治療した。ここでの水銀の働きはホメオパシーのものである……

……色々な下痢の症状の場合
緩下作用のあるダイオウ(Rheum)を少し投与して、いろいろな下痢の症状を止めた…

……狂犬病の場合
類似の症状を生み出すベラドンナ(Belladonnaセイヨウハシリドコロ)で治療した……

……高熱でほとんど危険な昏睡状態の場合
回復させるにはアヘン(Opium)を少し投与した。
するとまるで魔法にかかったかのように高熱で朦朧とした状態になるからである……

アロパシーとホメオパシーの比較

『医術のオルガノン』

Version 1.0.0

第3節 治療の仕方(1)

……急速に胃を壊したとき
腐った食べ物の味が混ざった不快なげっぷが絶え間なく出て、
たいてい気持ちが落ち込んだり、手足が冷えたり、などする。

こういう時、今まで一般の医師たちは、腐った胃の内容物にだけ目を向けていた。
作用の強い催吐薬を使えば胃はスッキリきれいになるはずだからである。

胃をきれいにするためには、たいがい酒石酸(しゅせきさん)の
輝安鉱(きあんこう=硫化アンチモニー(Ant-c.))を使う。
イペカック(吐根とこん)を混ぜることもあれば、混ぜないこともある。

だが実際のところ、患者はただちに、健康、快活、陽気になっただろうか。いや、なっていない。

通常、このような胃の障害はダイナミックな原因によって起こるからである。

たとえば、心がかき乱される(悲しみや恐怖や怒り)とか、冷えとか、
そして食事直後の精神ならびに体の酷使とか。適度な食事をとった後でも起こることが多い。

これら2つの薬は、こうしたダイナミックな乱れを取り払うのに適していない。
ましてや、これら2つの薬によって引き起こされたものすごい嘔吐によっても
ほとんど無理である。

催吐薬用の酒石とイペカックは、なお嘔吐の症状以外にも、
自ら生み出せる病気の固有な症状のうちから、患者の状態にとって不利な結果をもたらし、
胆汁の分泌が乱れることになる。

その結果、患者がそれほど丈夫でないなら、こうしたいわゆる「原因に基づく治療」によって、
胃の内容物を全てすっかり強制的に排出させても、
さらに長く数日間、悪い状態が続くにちがいない。

しかしこの患者が、そのような激しくて有毒な下剤を飲む代わりに、
高度に希釈したPuls.(ポースティーラ=セイヨウオキナグサ)の
液汁(この液汁を湿らせた、からし粒の大きさのもの)のにおいを、たった1回嗅ぐだけで、
全身的な状態の不調も胃の乱れもとりわけ確実に取り除かれ、2時間で健康になる。

患者がその後もう一度げっぷをしたとしても、味もしないし息も臭くない。
胃の内容物はもはや腐っていないからである。

次の食事のときには、適度に十分な食欲が戻る。患者は健康で快活になる。
これこそ真の「原因に基づく治療」である。

しかし彼らのは、架空の「原因に基づく治療」であり、患者にとって危険でつらいものである。

消化しにくい食べ物で胃がいっぱいになった時でさえ、決して催吐薬は必要ない。

自然は、余計なものを吐き出す一番いい方法を心得ているから。
すなわち、むかつき、吐き気、自発的な嘔吐が起こる。

万一の場合には、口を大きく開け、
口蓋(こうがい)や咽頭(いんとう)に機械的に刺激を与えて吐き出す。
こうして催吐薬の副作用を避ける。

コーヒーを少し飲むと、胃に残っているものを下の方から完全に出せる。

しかし胃に過剰な負担をかけると、刺激に対する胃の感受性は、
自発的に嘔吐させるには不十分であり、つまり消えてしまう。

その結果、上腹部に激痛が生じ、吐き気が完全に消失する。

こうなると胃が麻痺した状態に陥り、そのような催吐薬によって危険な、
あるいは致命的な内蔵の炎症が起こるだろう。

その一方で、少量の強いコーヒーを頻繁に飲ませると、
胃の弱まった感受性はダイナミックに回復し、
まだ過剰に残っている内容物を上からも下からも排出させるようにすることができる。

この場合も、彼らの偽りの「原因に基づく治療」は場違いである。

慢性病のとき腐敗した胃酸がげっぷで出されるのは、まれではない。
それでも今日では無駄なことに、ひどい苦痛を伴ってでも下剤を使って
強制的にそのような胃酸を排出させる。

すると翌日、あるいはさらにまたその翌日には、同じく腐敗した胃酸が生じる。
しかもたいてい以前よりもずっと量が多い。

その一方で、高度に希釈した硫酸(Sul-AC.Sulphuric Acid)をごく微量投与して
ダイナミックな原因を取り去ると、胃酸はおのずから減少する。

あるいは、すでに胃酸を含むげっぷがよく出る時には、類似性の点で他の症状にも対応した、
ソーラ(疥癬マヤズム)に対するレメディーをごく微量使用すると、いっそうよく効いて胃酸は減少する

治療のあるべき姿、洗練されたアプローチは人間に託されている

『医術のオルガノン』

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第5節 治療法に対する批判―自然の模倣(5)

……私たち死すべき人間は、健康な生命が住まう体の中で
いったい何が起きているかを洞察することはほとんどない。

確かに体内で起きていることは、
被造物の創造者にして保護者でもある、すべてを見通す神の目には開かれているが、
被造物である私たちには隠されたままであるに違いないからである。

生命が乱れているとき、すなわち病気になっているとき、私たちは、
内部で起きている出来事を見通すことはできない。

病気の時に内部で起きている出来事は、観察できる変化、
つまり障害や症状を通じてしか知らされることはないからである。

そういうものを通じて私たちの生命は、内的な攪乱を知らせるだけなので、
目の前のいかなる患者の症例においても、病気の症状のうちでどの症状が、
病気による害がおよんだ一次作用なのか、またどの症状が
バイタルフォースによる自分を助けるための反応なのか、知ることさえできない。

両者は目の前では相互に入り混じって現れるが、
内的な病気全体を外部に反映する像だけしかみせてくれない。
なぜなら、病気を終わらせようとする自由奔放な生命の無駄な努力は、
体全体の苦しみにほかならないからである

第5節 治療法に対する批判―自然の模倣

……なぜなら、人類の幸福を目的に治療の活動をすることに関して、
バイタルフォースをはるかに凌駕(りょうが=他のものを追い抜いてその上に立つこと)できるように、
私たちは、神からの最大の賜物(たまもの)を、すなわち、思慮深い知性と、
何物にも拘束されない思考力を与えられているからである……

……真の医学は物事を深く考える仕事である。
つまり、より高みにある人間精神、自由な思考、根拠に基づいて選択し
決断する知性によって果たされるべき務めである。

だがバイタルフォースは、独力で活動できるといっても本能のようであり、
知性と意識を欠いている。

だから、病気によってバイタルフォースの状態が攪乱され
異常な活動をするようになったときには、
ホメオパシー的に選んだレメディーによって生み出された、病気に類似した作用によって、
バイタルフォースの状態を変える。


すなわち、レメディーの病気によって、しかも少し強めに働かせて変化させる。
こうして自然の病気による作用は、もはやバイタルフォースに対して働きかけることはできない。

そしてバイタルフォースは自然の病気から解放され、
レメディーによって生じた少し強めの、類似した作用とだけ関連し続ける。


この作用に対してバイタルフォースは全精力を注ぎ、現に、まもなくその作用を打ち負かす。
まさにこのことによってバイタルフォースは自由になり、
再び正常な健康状態を回復することができ、

そして本来の使命に、すなわち「体に生命を付与してその健康を維持する」という
使命に戻ることができるのである。

このように状態が変化しているとき、苦痛や衰弱を伴う病気によって攻撃を受けることはない。
これをどうすれば実現できるのかを教えてくれるのが、ホメオパシーの医学なのである。

今まで取り上げてきた医学の治療法で、病気から逃れることができた患者は、
実際、確かに少なからずいる。しかし性病以外の慢性病から逃れた患者はいない。
もっぱら危険のない急性病から逃れることができただけであり、
その場合でもやはり厄介な回り道をたどり、不完全であることが多い

ホメオパシー的なアプローチ
いかがでしたでしょうか!?

ぜひご自身の体験として確認していただけましたら幸いです。

火傷に対してのホメオパシー的アプローチは
試した人みんな驚いて喜びの声を頂いております!

ちょっと頭の中に入れておいていざというときに
あなたも試してみてくださね!

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荒唐無稽であると医師会から異例の通達が出されたホメオパシー

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